12月21日/どんな日だった?:紀貴之の帰京、評定衆設置、伊能忠敬の地図、ハ坂丸撃沈、ジャンボ宝くじ発売、リニアモーターカーの記録、アルマアタ宣言

今日の歴史

12月21日は、日本の歴史において多くの重要な出来事が起こった日です。

紀貴之の帰京から始まり、鎌倉幕府の評定衆設置、伊能忠敬の実測地図の提出、日本郵船ハ坂丸の悲劇、ジャンボ宝くじの発売、リニアモーターカーの速度記録、

そしてアルマアタ宣言に至るまで、多岐にわたる出来事がこの日に記録されています。
これらの出来事を順に見ていきましょう。

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紀貴之が帰京の途につく(承平4年=934年)

承平4年(934年)のこの日、土佐での国司の任を終えた紀貴之は京都へと帰京の途につきました。
彼の旅路は、後に『土佐日記』として綴られ、日本文学史上において重要な位置を占めています。
この文書は、彼の土佐から京都への帰路を詳細に記録しており、日本の古代文化と社会の理解に不可欠な資料となっています。

鎌倉幕府が評定衆を設置(嘉禄元年=1225年)

嘉禄元年(1225年)、鎌倉幕府は評定衆を設置しました。
評定衆は幕府の行政と司法の最高機関として機能し、鎌倉時代の政治体制の重要な一翼を担いました。
この制度の設置は、日本の歴史における政治的な進展を示す象徴的な出来事と言えるでしょう。

わが国最初の実測地図(寛政12年=1800年)

寛政12年(1800年)、伊能忠敬は蝦夷を実地測量し、大小二種の北地地図を作成しました。
この地図は、江戸時代の日本における地図学と測量技術の優れた成果を示しています。
彼の地図は、その後の日本の地図作成の基盤となり、地理学の進歩に大きく寄与しました。

日本郵船「ハ坂丸」が地中海でドイツ潜水船に撃沈される(大正4年=1915年)

大正4年(1915年)、日本郵船の「ハ坂丸」は地中海でドイツの潜水船によって撃沈されました。
この船は、政府所有の金貨を積んでいたため、その沈没は大きな衝撃をもたらしました。
第一次世界大戦中のこの出来事は、 戦争の影響が世界的な規模で広がっていたことを示しています。

1等1000万円のジャンボ宝くじ発売、売り場に購入客が殺到(昭和51年=1976年)

昭和51年(1976年)、1等1000万円のジャンボ宝くじが発売されました。
この宝くじの発売に伴い、購入客が売り場に殺到し、残念ながら死者2名と重軽傷者19名を出す事故が発生しました。
この出来事は、宝くじの人気とその社会的影響を如実に示しています。

国鉄宮崎実験線でリニアモーターカーが517km/hを達成(昭和54年=1979年)

昭和54年(1979年)、国鉄宮崎実験線でリニアモーターカーが517km/hの速度を達成しました。
この記録は、当時の世界最高速度記録であり、日本の高速鉄道技術の進歩を象徴しています。
リニアモーターカーのこの成果は、その後の新幹線開発に大きな影響を与えました。

アルマアタ宣言、旧ソ連11共和国の首脳による会議が開かれる(平成3年=1991年)

平成3年(1991年)、アルマアタで旧ソ連11共和国の首脳による会議が開かれ、ソ連邦の消滅を決議しました。
このアルマアタ宣言は、冷戦時代の終結と世界政治の新たな時代の始まりを象徴する歴史的な瞬間でした。
この決議は、その後の国際関係と地政学に大きな影響を与えています。

まとめ

12月21日は、日本史上多くの重要な出来事が起こった日であることが明らかです。

これらの出来事は、それぞれの時代の文化、政治、技術の進展を反映しており、日本の歴史を形作る上で欠かせないものです。

今後もこの日は、これらの出来事を通して、日本の歴史を振り返る機会として記憶され続けるでしょう。

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この記事を書いた人
lemon

女性の応援、子育て女性のこれからなど、女性の応援ブログ記事のライター。歴史哲学読書好き。生活暮らし、スキルアップ、お悩みごとなど記事にまとめていきたいと思います。このブログでは近現代の歴史系担当。よろしくお願いいたします。

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